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伝説の名馬・シガー
2010-05-15 Sat 21:05
シガー(Cigar)
アメリカ合衆国の競走馬である。ブリーダーズカップ・クラシック、ドバイワールドカップなどに優勝し、サイテーションに並ぶ16連勝を達成した。『20世紀のアメリカ名馬100選』では18位に選出されている。

戦績
デビュー当初は父パレスミュージックが芝のレースで良績を残していたことから、芝のレースを中心に走っていたが、下級戦でも惨敗を繰り返すなど結局11戦して1勝に終わった。だが、4歳の10月に久々のダートレースに出走すると8馬身差で勝利した。続いてNYRAマイルハンデキャップ(G1)出走、このレースにはG1を5勝したデヴィルヒズデューも出走していたが、7馬身差で勝利した。 さらにその後もG1戦線で勝利を続け、迎えたブリーダーズカップ・クラシックでもルキャリエールを相手に2馬身半差で優勝し、この年のエクリプス賞年度代表馬に選出された。

翌年、ドンハンデキャップを連覇、ドバイワールドカップでもソウルオブザマターとの叩き合いを制し、連勝記録は14にまで伸びていた。次走マサチューセッツハンデキャップも勝利し、サイテーションの持つ20世紀のアメリカの連勝記録へ王手をかけたシガーに対し、サイテーションチャレンジと言う競走が企画された。このレースでも圧倒的な強さを見せ、半世紀ぶり、グレード制導入後では初となる16連勝を達成した。

次走のパシフィッククラシックステークスでついに敗れ連勝記録は止まってしまい、ブリーダーズカップ・クラシックでも3着に敗れ引退するが、生涯で稼ぎ出した賞金は米ドルに換算して999万9815ドルに達しており、これはスペシャルウィークに破られるまで世界記録であった。また、G1競走は11勝、しかもそのほとんどが楽勝であったことから1990年代のアメリカ最強馬と押す者も多い。その栄誉を称え、シガーが初めて勝ったG1競走であるNYRAマイルハンデキャップは1997年からシガーマイルハンデキャップ(Cigar Mile Handicap)と改称された。

引退後は大きな期待を背負って種牡馬入り、クールモアにて約30億円のシンジケートが組まれた。だが、無精子症であることが判明し、治療もむなしくついに1頭の産駒も残さず種牡馬を引退した。現在はケンタッキー・ホース・パークにて余生を送っている。

220px-Heads_Up_CigarJPG.jpg


※フリー百科事典参照

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性別産み分け法
2010-05-05 Wed 01:29
皆さん、久々です。

タイトルどおりですが…今回はスタホ2の超育成派において最大クラスの壁であろう「性別合わせ」で悩んでるプレイヤーの為に虫食い方式で教えたいと思います。

過去にも、独自に考察した「性別産み分け法」がありましたが新たに考えた方法で完璧に産み分ける事ができるようになりました。

この方法で思うように産み分けるようになれば最短で超高素質馬を発動できるほか、あまり重視されていないであろう多重インブリ、ニックスや味配合などのプレイヤー一人一人が理想の配合で勝負する事が可能になります。「性別」という壁があるが故にあまり重視されていなかった血統背景…つい数カ月前までは自分もそうでした。しかし…ここ2カ月程、この「性別産み分け法」で生産したところ完璧に産み分けられようになり今後、多重インブリなどを挑戦してみようと思っています。

あと誤解されないように一言だけ…「最短で超高素質馬が発動できる」と、書き込みましたが…”引き”が良くなるという意味ではありません。超高素質馬を生産する上で”引き”は最重要ですが、自家生産馬同士がセオリーの今…性別が合わない事には話になりません。せっかくいい素材馬ができても性別が合わなければ、また残週を消化して生産…また合わなければ残週消化。1頭の残週をフルで消化しようとするとメダルと時間が結構かかります。以上を踏まえた上での「最短で超高素質馬を発動をできる」と書きました。ご了承下さい。


まず生産する前に予め、どの父と母で配合してどっちの性別にするかを決めておいて下さい。
そして???が????したら生産画面にし、生産したい性別に対して…必ず生産したいほうの??の??を??に??する。この時に必ず??時の??を??する。
そして最後の??時に、??に??した時の??の??と同じ??で配合すれば意図的に性別を産み分けられます。


虫食い方式ですので、キーワードになる言葉は「?」にしました。因みに文字数に合わせた?マークの数なので…後は適切であろう言葉で、虫食い部分に言葉を当てはめて「性別産み分け法」にチャレンジしてみて下さい。


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伝説の名馬・ファーラップ
2010-04-20 Tue 21:00
ファーラップ(Phar Lap、1926年 - 1932年)
オセアニアの歴史的競走馬。ニュージーランドで生まれ、オーストラリアで活躍したが、アメリカ合衆国への遠征中に急死した。何者かに毒殺されたといわれている。ニックネームは"The Red Terror"(赤毛の恐怖)、脅威のレーシングマシンなど。

誕生
ファーラップは1926年10月4日、ニュージーランド南島の馬産地ティマルの牧場で生まれた。ファーラップは大きな体格の持ち主で、その大きさは1歳にしておよそ17.1ハンド(約174cm)であった。1927年にニュージーランドの首都ウェリントンにあるトレンサム競馬場で行われたセリ市に上場され、オーストラリアの調教師H・T・テルフォードの代理人(テルフォードの弟)によって160ギニーで落札された。テルフォード自身には十分な資力がなく、実業家のJ・D・デーヴィスの協力をとりつけての落札であったが、落札後オーストラリアへ輸送されてきたファーラップをデーヴィスは気に入らず(動きの鈍い、ただの大きな馬にしか見えなかった)、約束を反故にしようとした。テルフォードが説得した結果、デーヴィスは3年間ファーラップの預託料を支払わない、その代わりその間はテルフォードに無償で貸与し、獲得した賞金の3分の2はテルフォードのものになるという条件をつけてファーラップの買い取りに合意した。テルフォードの厩舎で調教を始めたファーラップは間もなく去勢された。

競走馬時代※オーストラリアでは8月がシーズンの開始・終了にあたるため、そのことを踏まえて節を構成する。
1928/1929年
1929年2月、ファーラップはローズヒル競馬場で行われたレースに出走したが着外に敗れた。その後3戦したがいずれも着外に終わり、4月下旬に5戦目で初勝利を挙げた。テルフォードは初勝利を大いに喜び、オーストラリアンダービーにも勝てると発言した。この後ファーラップは休養に入り、3戦1勝で1928/1929年のシーズンを終えた。

1929/1930年
ファーラップは8月に復帰した。復帰後の3戦はいずれも着外であったが4戦目のワーウィックステークスで一流の古馬を相手に4着に健闘し、それを境にファーラップの競走成績は急激に上昇した。ファーラップは9月にローズヒルギニーを勝利して2勝目を挙げると、翌10月5日にはかつてデルフォードが勝利を宣言したオーストラリアンダービーをレコードタイムを記録して優勝、さらに11月にはヴィクトリアダービーもレコードタイムで優勝したのである。シドニー秋三冠のうち2冠と2つのダービーを制したことを受け、陣営はオーストラリアで最も人気の高いレースであるメルボルンカップへの出走を決めた。このレースでファーラップに課された斤量は47.2キロと軽く(メルボルンカップはハンデキャップ競走)、1番人気に支持されたが3着に敗れた。
1930年に入り2月のセントジョージステークスで3着に敗れた後、ファーラップは3月の始めから5月半ばにかけて9連勝を飾った。前年のメルボルンカップで敗れた際には同レースの距離が3200mであったことからスタミナが足りないと評する者もいたが3600mのAJCプレートではメルボルンカップ優勝馬のナイトマーチに10馬身の着差をつけて勝利を収め、評価を改めさせた。「赤毛の恐怖」という呼び名はこの時期につけられたものである。

1930/1931年
9連勝達成後休養を取ったファーラップは8月に復帰した。復帰初戦は2着に敗れたがその後9月半ばから翌1931年3月の始めにかけて14連勝した。メルボルンカップを3日後に控えた1930年11月1日には何者かがファーラップを狙撃する事件が発生したが、これはメルボルンカップに関する賭けでファーラップが圧倒的な人気を集めていたため、配当金を支払いたくないブックメーカーが同馬の出走取り消しを目論んで起こしたのだと噂された(イギリスやオーストラリアにおけるブックメーカーとの賭けでは、賭けの対象となった競走馬が出走を取り消した場合、ブックメーカーは賭け金を返還しなくてよいということになっている)。犯人は捕まっておらず、ブックメーカーではなく新聞記者がスクープ欲しさにやったのだという噂も立った。ファーラップの連勝は1931年3月7日のC.M.ロイドステークスで2着に敗れたことで途切れたが、レース前にファーラップの担当厩務員は同馬の体調がすぐれないとテルフォードに進言していた。敗戦後テルフォードは出走させたことを悔やみ、ファーラップに休養を取らせることを決めた。
なお、1930年春には前述したデーヴィスとテルフォードとの間で結ばれた契約の期間が満了した。両者は今後のファーラップの所有について協議し、新たにテルフォードがデーヴィスに4000ポンドを支払い2人で共有する契約を結んだ。

1931/1932年
休養を取ったファーラップは8月下旬に復帰した。ファーラップは過去2年とは異なり復帰初戦を勝利し、10月末にかけて8連勝した。11月3日には連覇をかけてメルボルンカップに出走したが、体調が思わしくなかった上に68.1キロの斤量を課せられたことが響き、8着に敗れた。
メルボルンカップ出走後、デーヴィスはアメリカ合衆国アガカリエンテ競馬場で行われるアガカリエンテハンデ(1着賞金は当時の世界最高となる5万ドル)への招待を受託し、ファーラップを同国へ遠征させると発表した。テルフォードは乗り気ではなく、遠征に同行しないことにした。1932年1月にオーストラリアを出発したファーラップは急激な気候の変化(1月は南半球は夏、北半球では冬にあたる)に苦しみながらも3月20日にアガカリエンテハンデに出走し、コースレコードを記録して優勝した

毒殺
アガカリエンテハンデ優勝後、デーヴィスはファーラップにアメリカ各地を転戦する計画を立て、その前にカリフォルニア州の牧場でしばらく休養をとらせることにした。しかし4月5日、牧場内で激しい疝痛と高熱に苦しむ姿が調教師によって発見され、数時間後に死亡した。アメリカ政府は死因を疝痛と発表したが、検死の結果砒素が検出され、胃と腸から出血していることが判明すると何者かによって故意に毒殺されたという噂が流れた。オーストラリア国民の間で強烈な反米感情が巻き起こり、両国間に深刻な感情的軋轢を残すこととなった。
ファーラップの詳細な死因は長らく不明であり、毒殺説のほか砒素を含有する農薬を誤飲したことで疝痛を引き起こしたという説などがあったが、2006年10月、オーストラリアの研究機関がシンクロトロンによる解析を行った結果、ファーラップの毛髪から致死量を超える量の砒素が検出され、砒素による毒殺であったとする説が有力となった。ただし、何者がどのような理由からファーラップに砒素を投与したかについては未だに不明である。

死後
死後、ファーラップの遺体はオーストラリアへ送り返され、骨格はニュージーランドの国際美術舘(ウェリントン)、心臓(重さは6.3kgあり、通常のサラブレッドの1.5倍以上の大きさであった)はオーストラリアの首都キャンベラの解剖学研究所に寄贈された。オーストラリアでは1983年にファーラップを扱った映画が製作され、大ヒットを記録した。また、"Phar Lap - Farewell To You"(さらばファーラップ)という歌も作られた。1989年にはフレミントン競馬場に銅像が建てられた。
アメリカの競馬情報誌ブラッド・ホースは1999年に、北米の名馬を格付けした『20世紀のアメリカ名馬100選』という表彰企画を誌上で行っているが、ファーラップは北米での戦績がほとんど無かったにも拘らず22位に選出された。
2000年にオーストラリア競馬名誉の殿堂が創設されると、初年度の殿堂選定馬の1頭としてファーラップが選ばれた。また、2006年に創設されたニュージーランド競馬名誉の殿堂においても初年度の殿堂選定で選ばれている。

240px-Phar_Lap.jpg

100px-Phar_Lap_Statue.jpg
フレミントン競馬場に建てられた銅像

100px-PharLap27sHeart.jpg
ファーラップの心臓


※フリー百科事典参照

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伝説の名馬・ゼニヤッタ
2010-04-15 Thu 22:27
お久です。

前回の記事から約半月が経過してしまいましたが、とりあえずスタホは
地味に進めております。
まだまだ素質馬作りの段階でして…第二の発動は当分、先になりますね(汗)

この段階であれこれカキコするのもイマイチ面白味の欠けるし、プレイ頻度があまりない状況ですから
しばらく「伝説の名馬」を載せていきたいと思います。


ゼニヤッタ(Zenyatta)
アメリカ合衆国の競走馬である。2009年のブリーダーズカップ・クラシックにおいて、牝馬として史上初の優勝を果たした。ほか2008年のブリーダーズカップ・レディーズクラシック等G1競走10勝。生涯16戦16勝という成績は、北米における史上第2位の無敗記録である(2010年4月9日時点)。2008・2009年度エクリプス賞最優秀古牝馬。主戦騎手はマイク・スミス。

経歴
2005年9月にキーンランドで開催されたセリ市において、6万ドルという安値で購買され、音楽プロデューサーのジェリー・モスの所有馬となった。モスはこの時の印象を「背が高くがっしりとしていて、一目惚れだった」と語っている。その後「ゼニヤッタ」と名付けられ、カリフォルニア州を本拠とするジョン・シレフス厩舎に入った。馬名はモスが創業したA&Mレコーズ所属のロックバンド・ポリスの3枚目のアルバム『ゼニヤッタ・モンダッタ』に由来する。しかし調教が始められるとその動きは芳しくなく、体高およそ17ハンド(約172cm)・推定体重1200ポンド(約544kg)という巨躯もあり馬体が絞れず、小さな怪我を繰り返したこともありデビューは3歳11月と非常に遅くなった。

3・4歳(2007・2008年)
2007年11月22日、ハリウッドパーク競馬場のメイドン(新馬・未勝利馬戦)で初戦を迎え、2着に3馬身差を付けて初勝利を挙げる。続くアローワンス(一般戦)ではハリウッドパークのオールウェザートラックレコードを更新し2連勝。古馬になって出走したエルエンシノステークス(G2)では、最後方から直線だけで追い込み、重賞初勝利を挙げた。

その後は出走を予定していた二つの重賞競走を回避し、2008年4月にアップルブロッサムハンデキャップでG1競走に初出走。初のダートでの競走に加え、前年のエクリプス賞最優秀古牝馬・ジンジャーパンチとの対戦となった。しかしここも後方からの追い込みで、2着に4馬身半の差を付け快勝、G1初制覇を飾った。その後もミレイディハンデキャップ(G2)、ヴァニティーインビテーショナルハンデキャップ(G1)、クレメント・L・ハーシュハンデキャップ(G2)と連勝。クレメント・L・ハーシュハンデキャップの優勝タイム・1分41秒48は、デルマー競馬場のオールウェザー8.5ハロンのコースレコードであった。この次走のレディーズシークレットステークス(G1)では、前年のブリーダーズカップ・ディスタフ2着馬・重賞3連勝中のヒステリカレディーに3馬身半差を付け、無敗の8連勝を達成。本命馬としてアメリカの最強牝馬決定戦ブリーダーズカップ・レディースクラシックに向かった。

シーズン終了後、地元ハリウッドパーク競馬場の開催最終日であった11月30日には、「ゼニヤッタ・デイ」と銘打ち、場内でその姿を一般ファンに公開、ウイナーズサークル内でこの年の活躍を称えるセレモニーが行われた。年明けの2009年1月15日には、全米サラブレッド競馬協会(NTRA)の投票により、レディーズクラシック優勝が2008年度の「モーメント・オブ・ザ・イヤー」に選出。27日にはアメリカサラブレッド競馬の年度表彰・エクリプス賞で、最優秀古牝馬のタイトルを受賞した。年度代表馬受賞も有力視されていたが、前年度代表馬・カーリンが153票を集めて2年連続の受賞となり、ゼニヤッタは69票で次点に留まった。

5歳(2009年)
2009年は5月1日のルイスヴィルディスタフステークス(G2)から始動の予定も、馬場状態の悪化を理由に出走を取り消した。3週間後にミレイディハンデキャップ(G2)で改めて復帰。当日は重賞3連勝中の僚馬・ライフイズスウィートと人気を分け合った。レースは十数馬身離れた最後方から、最終コーナーに掛けて一気に位置を上げ、直線で抜け出して勝利。同競走連覇と共に、連勝記録を10に伸ばした。次走のヴァニティーインビテーショナルハンデキャップ(G1)では、キャリア最高となる129ポンド(約58.5kg)の斤量を背負いながら、2着に2馬身半差で快勝。続くクレメント・L・ハーシュステークス(G1)では道中で、スミスが終始手綱を押し通しというレース運びであったが、直線で最後方大外を追い込み、先行馬を頭差捉えて勝利。12連勝・6つめのG1優勝を果たした。

10月10日、ブリーダーズカップへの前哨戦としてレディーズシークレットステークスに出走。前走とは一転、直線入り口で先行勢に並び掛けると、スミスが一度も鞭を使うことなく快勝し、パーソナルエンスンに並ぶデビュー13連勝を達成した。

迎えるブリーダーズカップでは、レディーズクラシック連覇を目指すか、初めての牡馬相手となるクラシックへ向かうかが直前まで未定であったが、競走4日前にクラシックへの正式登録が発表される。当日はG1競走2連勝中のアイルランド調教馬・リップヴァンウィンクル、当年G1競走3勝のサマーバード等を抑えて1番人気に支持された。レースでは集団から置かれる形で後方2番手を進んだが、第3コーナーから進出を始めて最後の直線に入った。直線では馬場中ほどの馬群の中にいたが、スミスは半ばでゼニヤッタを大外へ持ち出すと、残り100mの地点で先頭を行くジオポンティを交わして1着でゴール。ブリーダーズカップ創設26年目で初めてとなる牝馬によるクラシック制覇を達成した。馬主のモス、管理調教師のシレフスにとっても初めてのクラシック優勝であり、シレフスは前日レディーズクラシックを制したライフイズスウィートから2日連続のメイン競走制覇も達成した。

引退発表 - 現役続行へ
クラシック競走後、一旦は引退が発表される。11月29日、まずハリウッドパーク競馬場で引退式が行われ、当日は特製のDVDとポスターが来場者に無料で配布された。12月26日には、ブリーダーズカップを制したサンタアニタパーク競馬場において、ファンを前にしての「ラストラン」が披露された。クラシック競走後もゼニヤッタの調教は続けられていたが、陣営はこれを「ゼニヤッタの気晴らしのため」などと語り、現役続行については一貫して否定しており、2010年1月には故郷ケンタッキーへ移動し、繁殖入りする予定とされていた。

しかし翌2010年1月16日、シレフスを通じて2010年シーズンの現役続行が発表され、翌17日から本格的な調教を再開した[7]。現役続行の理由について、モスは「彼女は本当のスターだ。私達は彼女が走るところを観たいんだ」と語った[6]。

2009年8戦全勝、うち牝馬として85年ぶりのプリークネスステークス優勝を含むG1競走5勝を挙げたレイチェルアレクサンドラとの争いが注目された2009年度エクリプス賞年度代表馬部門では、有効投票232票のうち99票(42.7%)を獲得したものの、130票(56.0%)を獲得したレイチェルアレクサンドラに及ばず、2年連続で次点となった。最優秀古牝馬部門では満票を獲得し2年連続の受賞を果たしている。

レイチェルアレクサンドラとの対戦
2009年に快進撃を続けたゼニヤッタとレイチェルアレクサンドラ両馬の対戦はファンのみならず関係者の間でも大きな関心事であった。ゼニヤッタ陣営はニューヨークで行われるダート競走・ベルデイムステークスへの登録を行うなど対戦に意欲的であったが、この時はレイチェルアレクサンドラが牡馬相手のウッドワードステークスへ回り、またシーズンの総決算であるブリーダーズカップ・クラシックは、レイチェルアレクサンドラの代表所有者であるジェス・ジャクソンがサンタアニタパークのオールウェザートラックに強い拒否感を示して回避。2009年シーズンの対戦は実現しなかった。ジャクソンはブリーダーズカップ終了後、第1候補をダート、第2候補を芝コースとした対戦をモスに持ち掛けたが、引退させる意志が固く断られたともしている。

仮に両馬が対戦したらという仮定において、ジェリー・ベイリーは「1マイル1/8までの距離なら、ベルモントパークのようなコーナーを1度しか回らない競馬場でもレイチェルに分がある」とする一方、「1マイル1/4なら恐らくゼニヤッタが勝つ」と述べ、総合的には「ペースとコースに左右されるゼニヤッタよりも、先行して自分でレースが作れるレイチェルを推したい」としている。また、ウェイン・ルーカスは「レイチェルのようにハイペースで先行する牝馬を後ろから差すのは難しい」とした上で、「レイチェルを差すには、チャーチルダウンズのゴール前約400mを、22秒フラットで走らなければならない」と分析している。一方、スティーヴ・ウィラードは「(レイチェルは)1マイルまでは素晴らしいが、ゴール前を見てくれ、平凡なタイムだよ。実に平凡だ。必ず差し切るだろう」と主張している。

一度は引退を表明したゼニヤッタの現役続行によって、両馬の対戦の可能性が復活したことになった。シレフスも現役続行に際し、「それを誰もが見たいと思っているのは明らかですね」と語っている。

6歳(2010年)
ゼニヤッタの現役続行を受け、2年前にゼニヤッタが優勝したアップルブラッサムハンデキャップの主催者であるオークローンパーク競馬場は、ゼニヤッタとレイチェルアレクサンドラの初対決の舞台として同レースを「アップルブラッサム招待」とし、賞金総額10倍、出走頭数を10頭に制限、ハンデ戦から全出走馬同斤の定量戦にし距離も0.5ハロン延長、さらに十分な調整を行うため開催日を1週間遅らせるなどの破格の条件を示した。これに呼応してゼニヤッタとレイチェルアレクサンドラの両陣営は同レースへの出走を決定し、両馬の初対決が行われる運びとなった。

レイチェルアレクサンドラとの対決に向けた2010年の緒戦は3月13日のサンタマルガリータインビテーショナルハンデキャップ(G1)から始動。レースではダンストゥマイチューンに1馬身差をつけて勝利、G1・9勝目を挙げると共にデビューからの連勝を15に伸ばした。

しかしレイチェルアレクサンドラが前哨戦に敗れたことを理由にアップルブロッサム招待を回避し、このレースでの対戦はならなかった。賞金を例年通りにし別定戦になったレースは5頭立てで行われ、道中最後方から楽に突き抜け2着タプタムに4馬身半差を付け勝利、区切りのG1・10勝目を挙げると共にサイテーション、シガーに並ぶ16連勝を記録した。

次走は2010年のブリーダーズカップが開催されるチャーチルダウンズ競馬場で6月に開催されるスティーブンフォスターハンデキャップ(G1)か、7月に地元西海岸のハリウッドパーク競馬場で開催されるハリウッドゴールドカップ(G1)を予定している。


200px-Zenyatta2009LadySecret.jpg


※フリー百科事典参照

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1週間プレイ
2010-03-28 Sun 21:25
いや~、ちょっとサボり気味になってましたね(汗)

本日は久々にスタホの事でもカキコします。
タイトルどおりなんですが、ここ最近は1週間に1プレイという生活リズムになっています。

相変わらずメダルは無いんですがね…(笑)
今日は5時間程、スタホってきました☆

以前、紹介した厩舎状況と大して変化はないんですけど…一応紹介します。


①店内殿堂馬ランキング1位のSS㊥牡馬【待機中】
②SS㊦牡馬【待機中】
③サラ?ガリ牝馬GⅠ勝ち【漬け中】
④怪物㊥牡馬【待機中】
⑤初代ガリ牝馬【ガリ中】

①、②、④は前回同様、変化なし。
③は今日作ったのですが、素質がよくわからないんですよね。
条件戦では「5馬身コメ」出て、「サラコメ」を貰いました。
この時点で素質はサラクラス確定なのに、ガリで初戦3歳GⅠに出走させたら…

12.2倍!?

ん…、どういう事!?バージョン変わったのかな?

以前のサラガリなら、こんなに良いオツズは出ないはずなのに…訳解りません(笑)
結局、そのままガリって4戦目でGⅠを勝ってくれました。そのまま漬けてます。

また殿堂馬を狙う気ではいるんですが、いつ発動できるのか…先はまだ見えず(汗)


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