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伝説の名馬・プリティーポリー
2010-02-23 Tue 21:49
前回に引き続き「伝説の名馬」を紹介しますね☆


プリティーポリー(Pretty Polly)
イギリスの競走馬である。主な勝ち駒はイギリス牝馬クラシック三冠。牡馬を相手に15連勝した。「Peerless Polly(天下無双のポリー)」の異名を持つ。

デビュー前
プリティーポリーは1901年にアイルランドのエアフィールド・ロッジ牧場で生まれた。生まれた直後から美しい栗毛の馬体をしており、生産者のユースタス・ローダは直ちに「麗しいポリー(Pretty Polly)」と名付けた。プリティーポリーは牝馬とは思えないほどたくましい馬体の持ち主で、デビュー前からローダが生産馬を集めて行った模擬レースで優れたパフォーマンを見せた。ローダはプリティポリーの能力を高く評価し、デビュー前に1000ギニーとオークス、さらにセントレジャーステークスの出走登録を行った。

競争馬時代
プリティポリーは1903年6月にデビューし、後にダービーステークスで2着になったジョンオーガウントに10馬身[1]の着差をつける勝利を収めた。この後プリティポリーはチェヴァリーパークステークス、ミドルパークプレート(後の二冠馬セントアマントに3馬身の着差をつけた)など1200m以下のレースを8連勝し、9戦9勝でこの年のシーズンを終えた。

翌1904年、プリティポリーはステップレースに出走することなく1000ギニーに出走した。1200m以下のレースにのみ出走していたことで、1600mの距離をこなすことができるか疑問視する向きもあったが、1分40秒のレコードタイムを記録して優勝すると続く2400mのオークスも勝利し、秋には約2900mのセントレジャーステークスでヘンリーザファースト、二冠馬セントアマントらを破り牝馬クラシック三冠を達成した。セントレジャ-ステークスの後パークヒルステークスを優勝しデビュー15連勝を達成。この記録は現在でもリボーの16連勝に次ぐ記録で、ブリガディアジェラードに並ぶ20世紀欧州第2位の記録である)。破れたレースはフランスに遠征して出走したコンセイユミュニシパル賞で、輸送に遅れが生じたことが祟ったとされる。

翌1905年は、初戦のコロネーションカップをレコードで勝ったものの目標としていたアスコットゴールドカップを前に故障を発症し休養を余儀なくされた。秋には復帰しチャンピオンステークスやジョッキークラブステークスを優勝。翌1906年もアスコットゴールドカップを目標に据え、コロネーションカップなど2レースを勝って臨んだがゴール前でバチェラーズバットンに交わされ2着に敗れた。この時 バチェラーズバットンに騎乗していたメイハーはかつて2400mのコンセイユミュニシパル賞でプリティーポリに騎乗したことがあり、同レースの敗因について「プリティーポリーは偉大な馬だがステイヤーではない」と距離の長いレースへの適性のなさを敗因に挙げており、超長距離戦(4000m)のアスコットゴールドカップにおいて自らの手でそのことを証明する結果となった。プリティーポリーはアスコットゴールドカップの後故障を発症し、競走馬を引退した。


※フリー百科事典参照





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伝説の名馬・オーモンド
2010-02-18 Thu 22:46
超久々の「伝説の名馬」シリーズの復活です(笑)

今回はオーモンドです、当然なんですが…リアルは強いです(笑)


オーモンド(Ormonde)
、イギリスの競走馬・種牡馬。19世紀末に史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成し、16戦不敗の成績を残した名馬である。不遇の晩年を送り、種牡馬としても成功することはできなかった。

生涯
母リリーアグネスは2-5歳時にイギリスで走り32戦して21勝、ドンカスターカップなどに勝った。産駒にはオーモンドのほかに1000ギニーに勝ったフェアウェルや、プリンスオブウェールズステークスのオソリー、未勝利馬ながらセプターの母となったオナーメントがいる。父ベンドアは初代ウェストミンスター公のもとエプソムダービーに勝った馬で、オーモンドはこの2頭の間に、母から見れば第3仔として生まれた。生まれた頃は馬格が小さく、膝が曲がっていた。その後も成長が遅れぎみであったが、2歳の春にかけて成長目覚しく、10月にニューマーケットでデビューするころにはすばらしい馬体に成長していた。

初戦は1馬身差で勝ちデビュー戦を飾る。2戦目のクリテリオンステークスも楽勝。さらに2日後に行われたデューハーストステークスも獲得し2歳戦を終えた。

3歳時
翌シーズンの初戦は2000ギニーとなった。11対10という圧倒的一番人気に押されたミンティングが逃げたが、オーモンドはこれを並ぶまもなくかわすと2馬身差で1冠を獲得した。エプソムダービーはザバーブが相手となったが1馬身半差で完勝した。ダービー後はセントジェームズパレスステークス、ハードウィックステークスに勝った。

秋はセントレジャーステークスから始動。セントミリンに4馬身の差をつけ勝利し史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成した。さらに2ヶ月の間にチャンピオンステークスを含む5戦全て勝利し、デビュー以来の連勝を13に伸ばしたところで休養に入った。

4歳時
このころオーモンドには異変が起きていた。既にセントレジャーの前には母のリリーアグネスが患っていた喘鳴症の兆候が現れていた。もっともこの時点では動きそのものに大きな問題は無く、ポーターは現役を続行させることを決めた。ロイヤルアスコットのルースメモリアルステークスに出走させ、25ポンドも斤量の軽いキルウォーリンに6馬身の差をつけて優勝した。この時ゴールしてから半時間も拍手が止まらなかったと伝えられている。

しかし喘鳴症は確実に悪化していた。ハードウィックステークスはミンティングとの再戦になりオーモンド生涯唯一の苦戦を経験する。2000ギニーでは破ったものの元々ミンティングはかなり強い馬で、オーモンドを避けて出走したパリ大賞を5馬身差で圧勝する実力の持ち主だった。レースはかなり激しいものになり、何とか首差で勝ったものの既に限界に達していた。インペリアルゴールドカップという短距離戦を引退レースとして16戦のうち一度も負けることなく引退した。

引退後
引退後のオーモンドは歴史的名馬にもかかわらず不遇の余生を送った。馬主のヒュー・ルパス・グロヴナーはオーモンドに大きな愛着を持っていたものの、イギリスに喘鳴症を持ったオーモンドの遺伝子が広まることを危惧し、数年間供用した後アルゼンチンに12000ポンドで輸出した。アルゼンチンでは成功することができず、続いてアメリカ合衆国へ31250ポンドで転売された。アメリカではオーモンデイルを出したが病気のため産駒数が少なく(10年以上供用されたが産駒数は16頭)、1904年、ついに呼吸困難に陥り殺処分された。遺体は一度埋葬されたがその後掘り出され、骨格がロンドンの自然史博物館に展示されている。生涯を通じて産駒数が少なかったため、その血を現在に伝えているのは、イギリスに残した少数の産駒のうちの1頭、オームの子孫に限られている。

オーモンド


※フリー百科辞典参照


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晴れた日曜日
2010-02-14 Sun 19:03
自分が生息している地域事なんですが、久々の晴天でした。
ここ最近は、雪や雨ばかりで気持ち的にブルーな感じで暮らしていました。

で、スタホは?というと…特に進展なしです(汗)
厩舎状況は…

①全国ランキングを果たした殿堂馬
②素質残しのSS㊦牡馬
③怪物㊦?ぽい牡馬
④素質カラッポのサラ牝馬
⑤素質残しのサラ牡馬
⑥初代ガリ牝馬

ん~、別に…って内容だな(笑)

一応、②の牡馬の相手作りを目指しています。先の殿堂馬の経験上、最低でもSS㊥は欲しいですね。
暴走さえしなければ、結構素質持ちますからね☆
やはり②の相手として怪物㊤はもってこないと…だな。
まぁ、気楽に進めていきますよ(笑)

そうそう、前記事の続きなんですが…予定どおりWBCに出走した息子。
見事に…


着外でした(笑)


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