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伝説の名馬・キンチェム
2008-10-03 Fri 17:22
いや~、今日はぐっすり寝ました。疲れた時は寝るのが1番ですな~、もう齢ですね。爆

という事で、本日のスタホもお休みです…明日は、必ず行きますよ~!


さて、今回の伝説の名馬は「キンチェム」です。SW戦メンバーの中で唯一の牝馬ですよね、結構軸にしてBETしている方、多いのではないでしょうか。ニヤリ

彼女の凄さは、もうご存じだと思いますが「54戦54勝」の脅威的な戦績。世界レコードっぽいですが、実は彼女の戦績は歴代2位なんですよ。
見た目は決して立派ではなかったが、内に秘めた精神力は「凄い」の一言です。


キンチェム(Kincsem)
ハンガリーの歴史的競走馬。名前はハンガリー語で「私の宝物」の意味(恋人同士や夫婦の間で使うと「あなた」の意味になる)。デビューから引退までの無敗記録としては世界記録となる54戦54勝の記録を持つ。デビューからの連勝記録としてもプエルトリコのカマレロに破られたものの、未だそれに次ぐ2位の記録である。



出自
キンチェムはハンガリーの国立キシュベル牧場に生まれた。当時のハンガリーは、東欧の強国オーストリア・ハンガリー帝国のもとサラブレッド生産にも力を入れ、今日のハンガリーとは比べものにならないほどレベルが高かった。母のウォーターニンフ(Water Nymph)は英オークス5着のザマーメイド(The Mermaid)の子で、現役時代にハンガリーの1000ギニーに優勝した名牝だった。キンチェムを生産したエルンスト・フォン・ブラスコヴィッチは、自分の乗馬用の馬としてこの馬を購入したのだが、周囲に説得されて繁殖牝馬とした。ウォーターニンフは繁殖に入って1年目からハンガリーオークス馬のハマト(Harmat)を輩出した。2年目にはバッカニア(Buccaneer)[2]が配合されるはずだったのだが、牧場のミスでウォーターニンフはカンバスカン(Cambuscan)に配合されてしまい、そしてキンチェムが生まれた。カンバスカンは種牡馬として活躍したニューミンスターを父に持ち、2000ギニー2着、セントレジャーステークス3着に入った後にイギリスで種牡馬となり、2000ギニーを勝ったカムバッロ(Camballo)を出している。その後ハンガリーのジョッキークラブに購入されたが、受胎率が低くバッカニアに比べれば人気はなかった。

ブラスコヴィッチの生産馬は1歳になると一括して売却されることになっていて、キンチェムの年はアレックス・オークシーという人物に7頭700ポンドくらいで売られることになったのだが、購入したにもかかわらずこの人物はキンチェムともう1頭の馬を引き取らなかった。キンチェムはひょろっとした暗い栗毛で外見が悪かったためか、走らないと判断されたのである。結局キンチェムは生産者のE.V.ブラスコヴィッチの所有で走ることとなった。

キンチェムは子馬の頃ロマに誘拐された事があり、犯人逮捕後に警察が「あの牧場にはもっといい体の馬が沢山いたのに何でこんな馬を狙ったんだ?」と尋ねた。すると犯人は、「確かにあの馬は外見は他の馬に見劣りする。でもそれを補って余りある勇気を持っていたんだ」と答えたという。


2歳時
キンチェムは2歳時の1876年6月、ベルリンの第一クリテリウムでデビューすると快進撃を開始した。ドイツで6戦全勝した後に地元オーストリア・ハンガリー帝国に戻り4戦してすべて勝った。この年は全て違う競馬場で10戦10勝をあげた。


3歳時
5ヶ月の休みを挟みポズホニのトライアルステークスで復帰するとハンガリーの2000ギニーであるネムゼティ賞、そして母子制覇となるハザフィ賞(ハンガリー1000ギニー)を続けて勝利し、さらに中央ヨーロッパの強豪馬たちが出走するレースだったジョッケクルブ賞(オーストリアダービー)を大差で圧勝した。この後ドイツに渡り初の古馬とのレースとなったハノーヴァー大賞、そしてバーデン大賞などに勝った。地元に帰ってアラームディーユを2連勝した後、ハンガリーセントレジャーに楽勝した。さらにカンツァディーユ(ハンガリーオークス)も勝った。この年キンチェムはハンガリーのクラシックに相当するレースを4勝したが、このころは国中の有力馬がこぞって出走するというわけでなく、各地でクラシック的なレースがいくつも開催されていた。また、ハンガリーオークスには古馬でも出走でき、キンチェムは4歳・5歳でも勝って3連覇している。この後キンチェムは3連勝し、3歳時は17戦17勝をあげた。


3歳時
4歳になってもキンチェムの快進撃は止まらなかった。この年はまず地元で1ヶ月間に9連勝をした。そしてキンチェムはこの後に西ヨーロッパ遠征を敢行する。

最初にキンチェムはイギリスのグッドウッドカップに出走した。イギリスでもキンチェムは有名で、ヨハネス・ブラームスのハンガリー舞曲にちなんで「ハンガリーの奇跡」と呼ばれていた。キンチェムにはダービー馬シルヴィオ(Silvio)やオークス馬プラシダ(Placida)とのマッチレースも企画されそうになったが実現はしなかった。グッドウッドカップは、ハンプトンやアスコットゴールドカップを勝ったヴェルヌイユ(Verneuil)を初めイギリスの有力馬たちはハンガリー馬に負けるのを恐れ回避してしまっていたため、わずか3頭でレースが行なわれた。キンチェムの他にはこの後ドンカスターカップを勝つことになるページェント(Pageant)などが出走していた。そしてレースはそのページェントが逃げ、キンチェムは控える展開になったが、最後はキンチェムが2馬身差で勝利する。

次にキンチェムはフランスのドーヴィル大賞に出走した。1番人気こそプールデッセデプーラン(フランスの2000ギニーに当たる)を勝っていた地元フランスのフォンテヌブロー(Fontainebleau)だったものの、結局キンチェムが勝利している。

バーデン大賞では、騎手のマイクル・マデンが極端に後ろからの位置取りをしてしまい、プリンスジルス(Prince Giles)という馬と同着だった。マデンはこの時酒に酔ったまま騎乗したといわれている。この後決勝戦が行われたが、突然馬場に野良犬が出てきて終始キンチェムに絡み、その隙に相手のプリンスジルスがキンチェムを突き放していった。しかしキンチェムは犬を蹴飛ばして追い払うと、プリンスジルスとの差を縮めて追いつくとあっという間に交わして6馬身差で楽勝した。

遠征を終えたキンチェムはさらに地元で3戦してこれらにすべて勝ってこの年を終えた。4歳時は15戦15勝だった。


5歳時
5歳時も現役を続けたキンチェムは、この年も12戦で全て完勝した。特に5月8日のアラームディーユでは斤量が76.5kgだったにもかかわらずこれにも勝った。さらにバーデン大賞を3連覇している。この後同厩舎の馬との喧嘩により脚を怪我したため、この年を最後にキンチェムは54戦54勝で引退した。


全54戦54勝、6度の単走があり、10戦以上は10馬身差以上の大差勝ちを記録している。成績表上は55戦の様に見えるが同着とその決勝戦で1レースなので54戦である。


引退後
引退後は繁殖牝馬として5頭の産駒を残した。どの馬も競走馬または繁殖で活躍した。また、キンチェムの子孫は繁栄し、多くの活躍馬を出した。オーストリアやハンガリーのクラシックに何度も勝ち、ドイツ、イタリア、ポーランド、ルーマニアのダービーにも勝っている。1974年にはキンチェムの子孫のポリガミー(Polygamy)が英オークスに勝った。そして現在でも、世界各地にキンチェムの牝系子孫が残っている。

キンチェムは13歳の誕生日に疝痛により死亡した。この日ハンガリーの教会はキンチェムを追悼するために鐘を鳴らし続けたという。キンチェムの骨格はハンガリーの農業博物館に展示されている。そして生誕100周年の1974年にはこの馬を記念してブダペスト競馬場が「キンチェム競馬場」と改名された。ここにキンチェムの銅像も建てられている。


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