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伝説の名馬・ニホンピロウイナー
2008-11-04 Tue 22:27
今日は「伝説の名馬」シリーズをお届けします。


今回はニホンピロウイナーです☆


中央競馬においてスプリント・マイルのグレード制が導入される初年度から一気に活躍し始め、今では定着している「スプリンター」「マイラー」の先駆者ともいえる存在。彼無くして短距離路線の重要性が認知する事はなかったと思います…様々な苦難を乗り越え活路を見出した短距離路線。彼の素晴らしい競争人生を堪能して下さい☆



ニホンピロウイナー
マイルチャンピオンシップ2勝、安田記念優勝など中央競馬の重賞を10勝、特にマイル(約1600m)以下の短距離競走では非常な強さを誇った。1983年、1984年、1985年の3年連続で優駿賞最優秀スプリンターを受賞している。八大競走と呼ばれた中長距離の大競走と比して「裏街道」と目されていた短距離競走路線において先駆的な活躍を収め、その活路を開いた存在とされる。また、種牡馬としてもヤマニンゼファー、フラワーパークという短距離GIの優勝馬を輩出するなど優れた実績を残した。

母ニホンピロエバートは1974年のクラシック二冠馬キタノカチドキの半妹であり、管理調教師の服部正利はキタノカチドキを管理していた。主戦騎手は河内洋。

成績
1982年9月11日の新馬戦に勝利すると、3連勝でデイリー杯3歳ステークスを優勝する。しかし、阪神3歳ステークスはダイゼンキングのアタマ差2着に敗れた。

1983年緒戦のきさらぎ賞を勝利してクラシック路線へ進むが、スプリングステークスでタケノヒエンの6着、皐月賞で後に三冠馬となるミスターシービーの20着(最下位)と惨敗。この後はクラシック路線をあきらめ短距離路線に転向し、秋にはオパールステークスからCBC賞まで3連勝した。

1984年、この年からグレード制が導入されると同時に短距離路線が整備され、それまでハンデ戦だった安田記念と、新設されたマイルチャンピオンシップが短距離のGI競走として制定された。本馬もこれらを目標とすることになったが、年明け緒戦の淀短距離ステークスは勝利したものの、続くマイラーズカップは不良馬場となり2着敗退。しかも直後に骨折して春シーズンを棒に振る。

秋に復帰し、緒戦の朝日チャレンジカップで60kgの斤量を背負いながらも逃げ切ると、次走のスワンステークスでは同期の桜花賞馬シャダイソフィアに7馬身差をつけるレコードタイムで優勝。そして11月18日、京都競馬場で行われた第1回マイルチャンピオンシップに出走、その年の安田記念優勝馬ハッピープログレスを破ってGI初制覇を挙げた。

1985年、2000mの大阪杯は8着と敗れるが、1600mのマイラーズカップ、1400mの京王杯スプリングカップでは1番人気に応え優勝。5月12日にはマイルGI安田記念に勝利する(このときの単勝110円は2008年現在、安田記念史上最低の配当である)。秋は毎日王冠から始動して同レース4着の後、天皇賞(秋)に出走。このレースでは2着シンボリルドルフと0.1秒差の3着に入り、2000mの距離でもGI級と闘える事を証明した。続く次走マイルチャンピオンシップで、2着のトウショウペガサスに3馬身差で連覇を達成し、引退した。


引退後
引退後は種牡馬として北海道門別の下河辺牧場に繋養され、のちにブリーダーズスタリオンステーションに移動された。種付け頭数は関係者の意向で年間60頭(後年、種付け希望の増加から65頭まで増やされた)に制限されていたが、下記の重賞勝ち馬を始め多数の活躍馬を送り出している。

2004年に種牡馬を引退。2005年3月17日北海道門別町の佐々木牧場にて心臓マヒで死去。後継種牡馬として、ヤマニンゼファー、ニホンピロプリンス、ダンディコマンド、メガスターダムなどが父の血脈を伝えている。


代表産駒
1987年産
ニホンピロエイブル(京都4歳特別)
ホリノウイナー(東京新聞杯)
1988年産
ヤマニンゼファー(天皇賞(秋)・安田記念2回・京王杯スプリングカップ)
1989年産
ニホンピロプリンス(CBC賞・マイラーズカップ)
1990年産
トーワウィナー(CBC賞・阪急杯)
1991年産
ファンドリショウリ(中日新聞杯2回・愛知杯)
1992年産
フラワーパーク(高松宮杯・スプリンターズステークス・シルクロードステークス)
トーワダーリン(安田記念2着)
1993年産
ダンディコマンド(北九州記念)
1996年産
ダイワデュール(東京ハイジャンプ)
ユーセイシュタイン(京都ジャンプステークス)
1999年産
メガスターダム(ラジオたんぱ杯2歳ステークス・中京記念)
2001年産
エムオーウイナー(シルクロードステークス)
母の父
ニホンピロサート(ガーネットステークス、他ダート交流重賞4勝)、エアガッツ(ラジオたんぱ賞)、ラティールなどを輩出し、芝ダート・距離を問わず活躍している。


評価
通算26戦16勝のうち、1600m以下の距離での成績は18戦14勝・2着3回とほぼ完璧といえる戦績を残し、競走馬時代の当時「皇帝」と呼ばれた一期後輩の三冠馬シンボリルドルフでさえ、短距離・マイル戦ではニホンピロウイナーに勝てないだろうと言われていた。この距離で唯一着外に敗れた競走では落鉄を起こしている。一方で不良馬場を苦手とし、不良馬場で行われたレースでは5戦して全敗と精彩を欠いた。最下位に敗れた皐月賞も、距離よりも馬場の悪さが原因であったとする見方もある。

同期には三冠馬ミスターシービーの他にもジャパンカップを日本調教馬として始めて優勝したカツラギエース、1985年天皇賞(秋)・1986年安田記念優勝のギャロップダイナ、1983年有馬記念優勝馬リードホーユー、1985年宝塚記念優勝馬スズカコバンというGIを勝利した牡馬が5頭いるが、本馬はミスターシービーを除く4頭全てを負かした(共に出走したレースで1着になった)ことがある。さらに生涯獲得賞金4億8322万1400円は、ミスターシービーを凌ぎ、1980年生まれの中央競馬所属競走馬の中で最も多い。

主戦騎手を務めた河内洋は本馬について「1400mがベストのスプリンターであり、決してマイラーではない」と語っている。また「短距離戦には、それを得意とする馬の全盛期がもって1年、酷ければGIをひとつでも勝ってしまえば後は零落れてしまうような消耗の激しさがある。しかしこの馬は、いくらマイル・スプリント路線の創成期とは言え、その中で3年以上も第一線で活躍して結果を残し、それどころか年々強くなり続けていた。そこにこの馬の凄さ、偉大さがある」とも評している。



※フリー百科辞典参照


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この記事のコメント
#1760
私的にダビスタをやっていた影響で、スティールハートの絡みもありなんか好きな一頭です
現役時代を見たかったな
2008-11-05 Wed 00:46 | URL | まるお #10GAfoX2[ 内容変更] | top↑
#1779
まるおさん>

おお、奇遇ですね♪
自分もダビスタにハマっていましたよ。

リアル好きなんで非リセットプレイヤーでしたね…やはり「逃げ」最強でしょう。笑


2008-11-05 Wed 21:36 | URL | ビッグ #-[ 内容変更] | top↑
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